下橋波村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。出雲国神門【かんど】郡のうち。江戸期は松江藩領。村高は「大数録」には320石,また寛文〜宝暦4年には323石余,宝暦11年には325石余(佐田町史),「天保郷帳」では274石余。宝暦4年の「神門郡万指出帳」記載の家数65・人口350,うち男188・女162で,農339・桶屋1となっている。明治4年島根県に所属。「皇国地誌」によると田27町余・畑8町余・山林19町余で,戸数61・人口は267,うち男142・女125で,江戸期より減少している。職業は農45・薪炭11・木挽12,牛33・馬3がいる。土地柄は米作に適した土質で,水利もよいため桑・茶の栽培が行われていた。この他に物産として苧350貫を郡内大池村へ移出。社寺には郷社の波須波神社,日蓮宗松久寺,真言宗から天和元年真宗に改宗した真宗庵がある。人民共立小学校に男26・女1が通学。明治22年に神門郡山口村の大字となる。同年の戸数61・人口267。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7412331
最終更新日:2009-03-01