高津屋村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。出雲国神門【かんど】郡のうち。江戸期は松江藩領。村高は「大数録」では90石,「天保郷帳」では93石余,「佐田町史」によれば,寛文〜宝暦4年の間の平均が96石余,宝暦11年も96石余。宝暦4年の「神門郡万指出帳」に記録される家数23・人口133,うち男64・女69。明治4年島根県に所属。「皇国地誌」では田9町余・畑11町余・山林9町余,家数30・人口138,うち男74・女64。職業は農17・薪炭12で,牛17・馬3。農業に適した土地で,米作,桑・茶栽培が行われていたが,水利に不便で,しばしば旱害に苦しんだ。道路は東西南北に囲まれた山々にはさまれ,不便な上,中央に高津屋川が流れているものの,舟やいかだは通らず孤立した地であった。村社は熊野神社。明治22年に神門郡山口村の大字となる。同年の戸数30・人口138。
解説文を自分にメール![]()
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7412611
最終更新日:2009-03-01