ケータイ辞書JLogosロゴ 反辺村(近世)


島根県>佐田町

 江戸期〜明治22年の村名。出雲国飯石【いいし】郡のうち。江戸期は松江藩領。そのうち町【まち】・慶正【けいしよう】・呑水【のんみず】・淀西【よどにし】の地域は石清水八幡宮領210石となった。貞享2年八幡【やわた】村の須佐別宮も高櫓山麓に遷座された。八幡宮領では毎年4月上旬に京都より代官梅坊が,騎馬武者を従えて来宮した。八幡宮は高櫓山麓にあり,代官詰所は宮境内馬場の檀特山清泉寺に設けられていた。反辺村北方4分が八幡宮領で,6分が松江藩領であった。「大数録」の村高は460石,「天保郷帳」では690石余。寛政4年「飯石郡中万指出帳」の戸数65・人口271,うち男149・女122で,桶屋が1軒。明治4年島根県に所属。同年須佐別宮は多倍神社に合祀された。「皇国地誌」によると,田54町余・畑43町余・宅地6町余・木の実山59町余,戸数157・人口641,牛154頭・馬7頭,日本形船3・横渡船1・農業用船2,職業は農140・鍛冶3・商3・大工2・縫織17。ハゼ1,000貫を神門【かんど】郡へ,コウゾ600貫を上熊谷【かみくまたに】村へ,桐実120石を神門郡へ出荷。村の中央に人民共立小学校があり,生徒数は男32・女6。多倍神社は村社,臨済宗久光寺は開基創建年月不詳。明治22年飯石郡須佐村の大字となる。同年の戸数152・人口641。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7412761
最終更新日:2009-03-01




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