反辺(近代)
明治22年〜現在の大字名。はじめ須佐村,明治29年西須佐村,昭和28年須佐村,同31年佐田【さだ】村,同44年からは佐田町の現行大字。西須佐村当時から村役場が置かれ,現在佐田町の中心地。昭和7年に出雲今市から反辺の淀に置かれた出雲須佐駅までの立久恵【たちくえ】線が開通したことは須佐地方の交通にとって画期的なことであった。神戸川沿いに敷かれた鉄道は立久恵の景勝をめでながら,出雲市方面への通勤・通学・貨物輸送に重要な役割を果たしたのである。しかし,開通以来30数年を経た同39年に貨客車・施設の老朽化のため,鉄道廃止の通告が出,さらに同年7月の豪雨災害で鉄道敷の流失,鉄橋の決壊で廃止が決定的となった。同41年には立久恵線を整備し,出雲と三次【みよし】をつなぐ県道が完成し,現在では佐田町と出雲市を結ぶ大動脈となっている。同45年の世帯238・人口908。県立出雲農林高等学校佐田分校がある。
解説文を自分にメール![]()
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7412762
最終更新日:2009-03-01