南加茂村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。出雲国大原郡のうち。江戸期は松江藩領。村高は元禄14年399石余,「大数録」では480石,「天保郷帳」では567石余。寛政12年の人口357。明治4年島根県に所属。同年の戸数75・人口363。「皇国地誌」によると,田60町余・畑19町余・宅地3町余・山林不詳。戸数80・人口358,牛29・馬14,職業は農72・工6・雑1,女13人が紡織に従事。米を加茂中村その他に,生ニンジンを仁和寺【にんなじ】村に,木綿・瓦を加茂中村その他に出荷。広島街道が村内を南北に通過していた。人民共立小学校があり,男35人が通学。字寺には区会所が置かれ,立原【たちばら】・近松・大西・南加茂・宇治・神原【かんばら】・三代【みじろ】・山方・里方【さとがた】の9か村を管轄。村社は貴船神社。天文年間大西【だいさい】村から移されたと伝える臨済宗長泉寺は創建年不詳。明治22年大原郡神原【かんばら】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7413969
最終更新日:2009-03-01