屋代郷(古代)
奈良期〜平安期にみえる郷名出雲国大原郡のうち「風土記」では「やしろのさと」と読み,所造天下大神【あめのしたつくらししおおかみ】が矢場を築き立てて弓を射た所である故に矢代【やしろ】といったが,神亀3年に字を屋代に改めたとみえる「風土記」に屋代小川(三代川)・矢代社(三代の高塚神社)・屋代社(三代の貴船神社)の地名,神社名がみえる現在の加茂町の東半部,加茂中付近の赤川流域から北方は中村川流域にわたる地域と推定される(古典文学大系本・風土記の研究)「和名抄」(高山寺本)にも大原郡の1郷としてみえる加茂【かも】町東南部大字三代【みじろ】の矢代社は,屋代郷に由来する郷庁は大字加茂中の西辺に当たる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414107
最終更新日:2009-03-01