赤田(近代)
岡山県
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岡山市
明治22年〜現在の大字名。はじめ幡多村,昭和29年からは岡山市の大字。明治24年の戸数48,人口は男111・女105。昭和30年代後半から岡山市街地の拡大が急速に進み,県道中原藤原線が西側に南北に敷設されると,急速にその住宅地域として脚光を浴び,人口急増地域となった。昭和48年一部が清水1〜2丁目となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414447
最終更新日:2009-03-01
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