浅川(近代)
明治22年〜現在の大字名。はじめ御休村,昭和28年上道町,同46年からは岡山市の大字。明治24年の戸数35,人口は男98・女80,船2。米麦生産主体の純農村。旧西国街道が国道(現市道)となり,大正期以降岡山〜片上間に乗合自動車が開通。昭和38年中央部に国道2号が開通すると,同沿線付近に石油スタンド・自動車販売会社・飲食店などが進出。北部には住宅団地も造成され,従来の村落形態が変容しつつある。昭和45年の世帯数50・人口198(男93・女105)。
解説文を自分にメール![]()
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414454
最終更新日:2009-03-01