浅越(近代)
明治22年〜現在の大字名。昭和44〜47年は西大寺を冠称。はじめ芳野村,昭和15年西大寺町,同28年西大寺市,同44年からは岡山市の大字。明治24年の戸数85,人口は男215・女202,学校1・船4。米麦生産主体の農村であるが,第2次大戦後はブドウを中心とする果樹栽培も始められた。明治26年設立の芳野尋常小学校は,第2次大戦後西大寺小学校芳野分校,昭和39年本校に統合された。東山に植樹された梅林は,明治期から大正期にかけて名所としてにぎわった。昭和40年の世帯数104・人口461(男231・女230)。同47年一部が西大寺上1〜3丁目となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414461
最終更新日:2009-03-01