阿知村(中世)
室町期〜戦国期に見える村名備前国邑久【おく】郡のうち地名としては鎌倉期から見え,元亨4年4月19日の備前国鹿忍庄下司・同豊原庄雑掌和与状案(安仁神社文書/県古文書集3)に見える藤井村の四至に「北限阿知・鹿忍大道」とあり,藤井村の北に位置していたことが知られる享禄3年3月7日の大京次郎左衛門寄進状(同前)の指出には「〈阿ち村〉大京次郎左衛門」とあり,田地1反が弘法寺に寄進されている室町中期と推定される前後欠で年月日未詳の弘法寺領年貢注文断簡(弘法寺文書/県古文書集3)の1筆に「一所 七斗〈麦〉兵衛次郎〈阿ち村〉」と見える江戸期に上阿知村・下阿知村が見え,現在の岡山市上阿知・下阿知に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414501
最終更新日:2009-03-01