宇野村(中世)
鎌倉期に見える村名。美作国苫東郡のうち。文治6年4月日の主殿寮年預伴守方注進状案(壬生家文書3/図書寮叢刊)によれば,主殿寮への納物の確保のために,美作国では年別油4石5斗1升・大粮米147石を負担する保として「飯□郷」が設定されていたが,のち改めて「宇野村」を設定し,当時の見作田数は6町余であったという。下って,永徳3年3月2日の肥塚範重檀那譲状(肥塚文書/兵庫県史史料編中世2)によれば,播磨広峰社々家肥塚範重から舎弟小四郎(家重)に譲与した檀那のうちに「北賀武(茂カ)〈宇野ふる屋〉〈市場光阿〉」と見える。応永33年卯月27日のほうしゅん檀那職譲状(肥塚家文書)では,式部という者に譲与した檀那のうちに「きたのかものうのゝふるや」と見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414936
最終更新日:2009-03-01