香合村(近世)
江戸期〜明治5年の村名美作国英田【あいだ】郡のうち吉野川支流河会川下流域に位置する地名はもと河合の文字を使ったが,災難があって香合と改めたという宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年津山藩領,元禄10年幕府領,享保15年大坂城代土岐氏領,寛保2年からは上野沼田藩領村高は,「正保郷帳」116石余,「美作鬢鏡」「東作誌」「天保郷帳」「美作鏡」「旧高旧領」ともに204石余「東作誌」によれば,毛付高は田99石余・畑37石余・新田38石余,家数22・人数99,神社は天神社・荒神社など,堂は地蔵堂2,井堰4明治4年沼田県を経て,北条県に所属同5年三保原村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415499
最終更新日:2009-03-01