河井村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。美作国東北条郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年津山藩領,享保12年幕府領,寛政元年下総佐倉藩領,同6年からは幕府領。村高は,慶長8年45石余で元禄10年までの開高36石余(苫田郡誌),「美作鬢鏡」92石余,「東作誌」101石余,「天保郷帳」「美作鏡」「旧高旧領」ともに同高。「東作誌」によると家数30・人数90。神社には当村と山下村の氏神である八幡宮と元文4年草刈三郎左衛門景継が勧請した草刈社があり,寺院は真言宗福善寺。倉敷県,北条県を経て,明治9年岡山県に所属。同11年当村と山下村を学区とする弘成小学が開校。同22年上加茂村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415925
最終更新日:2009-03-01