南村(中世)
南北朝期に見える村名。美作国英多【あいだ】郡河会荘のうち。建武元年6月3日の雑訴決断所牒は,宛所を欠くが「美作国河会庄十町南村内土師谷村田畠在家」と見え,また同年12月19日の渋谷定円(重基)外六名連署和与状に「鬼益丸雖帯 大塔宮令旨并吉田一位御牒」と見えることから,当地は渋谷鬼益丸に安堵されたことが分かる(岡元家文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7419717
最終更新日:2009-03-01