内原村(中世)
織豊期に見える村名高岡郡のうち天正18年の佐川郷地検帳に「内原村」と見え,155筆うち居屋敷20筆で,久武氏・久万氏・楠瀬氏・河田氏・吉村氏などの給地のほか,今散田分・中村分・片岡分からなる当村分のホノギとして,新福寺・土ゐヤシキ・太ミカト・政所ヤシキ・池ヤシキ・山子ヤシキ・田村ヤシキ・神母ヤシキ・妙見ヤシキ・蓮花寺ヤシキのほか,ワカ井タ・ウリシリ・橋ノ爪・岩崎・山崎・久礼タ・西沢・クキウ・カキノ木タ・深タ・ミコ石などが見えるなお慶長6年8月19日の山内一豊知行宛行状には「佐川城付」として「弐拾五町六反廿八代三分〈城つき〉内原村」と見え,佐川領として重臣の深尾与右衛門に宛行われている(深尾文書/佐川町史)江戸期には佐川本村とともに佐川村と称し,現在の佐川町甲にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434429
最終更新日:2009-03-01