梅木村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。土佐郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳72石余(南路志),寛文7年の郷村石付と寛保3年の郷村帳も同高,「天保郷帳」では領家村枝郷として89石余。明治3年の郷村帳では領家郷総分2,373石余のうち。元禄地払帳によれば,本田72石余うち仙石新五良知行36石余・御蔵知36石余,新田22石余うち今井惣太夫領知1石余・高野新作領知4石余・御貢物地16石余。「土佐州郡志」では領家郷のうちとあり,村の広さは東西40町余・南北15町余,戸数28,物産は紙草と茶。寛保3年の郷村帳では,戸数53・人数250(男139・女111),牛6・馬30,猟銃5。社寺は,「土佐州郡志」では大坊主天王社と地蔵堂が,「南路志」では,天正5年銘の棟札を載せる天王社のほか地主権現・山神・若宮権現天満天神と地蔵堂・文珠阿弥陀堂,および西光寺跡が記される。なお両書とも高4間・横5間の不動岳と夜啼石も記される。夜啼石には,ある男が道中急に産まれた赤児と妻を残し,村人を捜しに行って帰ってみると,妻子とも狼に喰われており,のち石のあたりから夜に赤児の泣き声が聞こえるようになったという話が残る。また村内北には大黒備前守の居城と伝える梅木城跡がある。明治4年高知県に所属。村内には梅ノ木小学校があり,明治13年の生徒数26(県史近代史料)。同21年高知警察署梅ノ木巡査駐在所設置(県警察史)。同22年十六村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434455
最終更新日:2009-03-01