大垣内村(中世)
織豊期に見える村名。土佐郡のうち。天正17年の地頭分地検帳および地頭分高山切畑地検帳に「大垣内村」と見える。前者によれば,当村分の面積は田2町8反余・畠1反余・屋敷5反余で,合計3町7反余。61筆あり,屋敷17筆のうち居住者は12筆に見え,ほかに田42筆・山畠2筆。高山切畑分の地検帳に見える当村分の面積は,1反余の計7筆で,すべて小麦が生産されている。当村はすべて吉松筑前の給地。吉松筑前は土居屋敷の居住者で,万々・福井(現高知市)を本拠にした国侍吉松氏の一統。地検帳に見える地名のうちホリカトウ・ハサマ・大谷・ヌタなどが現在も残り,土居屋敷を囲むような景観を呈していたことがうかがわれる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434569
最終更新日:2009-03-01