大河内村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。土佐郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳37石余(南路志),寛文7年の郷村石付と寛保3年の郷村帳も同高,「天保郷帳」では地頭分村枝郷として52石余。明治3年の郷村帳では地頭分郷総分2,112石余のうち。元禄地払帳によれば「大垣内村」と見え,本田37石余うち安積仁右衛門知行17石余・真鍋五良左衛門知行17石余・日比三之丞知行1石余,新田7石余うち安積仁右衛門役知6石余・御貢物地1石余。「土佐州郡志」では地頭分郷のうち「大柿内村」と見え,村の広さは東西12町・南北20町余,戸数12。また同書には「西北麓有領家・地頭分・上八川通途」と見え,地内大奈路は牛馬を放つ地であり,また松が多くある前山は私の伐採が禁止されているとも記す。寛保3年の郷村帳では,戸数18・人数115(男67・女48),牛3・馬17。地頭分郷内では小規模な村落。寺社は,「土佐州郡志」では杉之本大明神,「南路志」では,杉本大明神には文禄3年銘の棟札が載せられ,ほかに石神・荒神・神母と馬頭観音堂が記される。また吉松筑後守の拠った古城跡があり,「土佐国古城略史」では同城について,城主伊達入道,これを吉松筑後守が攻め落とし長宗我部元親から賜ったとある。当地は白蝋石を産し,佳品と賞される(土佐石誌)。明治4年高知県に所属。なお大河内小学校が開校しており,明治13年には9人の生徒がいた(県史近代史料)。同22年鏡村の大字となる。
解説文を自分にメール![]()
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434570
最終更新日:2009-03-01