ヲゝリノ村(中世)
織豊期に見える村名。土佐郡のうち。天正17年の地頭分地検帳に「ヲゝリノ村」,同年の地頭分高山切畑地検帳に「ヲウリノ村」と見える。前者によれば,当村分の面積は田3町7反余・畠1反余・屋敷7反余の合計4町7反余。74筆あり,すべて大利民部の給地で,土豪の1人であったことが知られる。屋敷は20筆でうち10筆に大利民部を含めた居住者がいる。高山切畑分の地検帳では,当村分の面積は1町48代余,同じくすべてが大利民部の給地で18筆。うち12筆で小麦が生産され,ほかに大麦・粟が作られた。地検帳の地名のうちセキノ本・岩戸・シラツチ・タヲなどが現在も残り,大利村の南部が古くから開発されていたことがうかがわれる。また地福寺の存在が知られる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434748
最終更新日:2009-03-01