狩山村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。土佐郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳14石余(南路志),寛文7年の郷村石付と寛保3年の郷村帳も同高,「天保郷帳」では地頭分村枝郷として22石余。明治3年の郷村帳では地頭分郷総分2,112石余のうち。元禄地払帳によれば,本田14石余うち真鍋五良左衛門知行6石余・安積仁右衛門知行7石余,新田は2石余ですべて御貢物地。「土佐州郡志」では地頭分郷のうちとあり,村の広さは東西・南北とも30町余,戸数9,物産は薪・茶と紙にする楮蜀葵。寛保3年の郷村帳では,戸数24・人数132(男76・女56),牛12,猟銃5。寺社は,「土佐州郡志」では半所河内神・若宮が,「南路志」では八所河内大明神と同社境内社の神明宮,小森大明神,および馬頭観音堂が記される。馬頭観音堂には享保14年の棟札がある。明治4年高知県に所属。同22年鏡村の大字となる。
解説文を自分にメール![]()
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7435127
最終更新日:2009-03-01