佐川郷(中世)
織豊期に見える郷名。高岡郡のうち。古くは康永元年9月26日の佐伯国貞軍忠状に,「花園宮御手人々金沢殿綿打殿越智佐阿(河カ)度賀野軍勢戸波名主庄官并熊野山凶徒等」と見え(佐伯文書/拾遺),永禄6年8月15日の年紀を有する鯨坂八幡宮鰐口銘にも「佐川八幡宮奉寄進窪勘解由左衛門」とある(佐川町史)。郷名としては,天正18年の佐川郷地検帳に「高岡郡佐川郷地検帳之事」と見え,当郷の検地面積は,本田181町6反余・出田58町2反余,本屋敷37町9反余,本畠13町1反余・出畠7反余で,計296町1反余,ほかに切畑2反30代がある。同地検帳には,地内の小村として高平村・柏原村・室原村・室原内サキノスノ村・桂谷村・河津坂村・ウリウノ村・ヲキノ原村・神崎村・井タツリ野ノ村・下神崎村・門ノ村・ヲチノノ村・タマワリノ村・竹ノハナノ村・川淵村・三野島村・福良ノ村・本田村・乗台寺村・西谷村・松音寺口村・松音寺谷村・松音寺門口村・トチノキ村・井ワイ谷村・室カ谷村・カトノ本村・岩本村・エノキタノ村・春日村・小池村・内原村・小谷地村・蔵宝院谷村・河内村・川西村・中山村・乙路谷村・簗瀬村・立野ノ村・丹生谷村・市ノ瀬村・市坂之村・馬野原村・高梶村・金谷村・石仏ノ村・岩神村・青されノ村・界名村・カ井ナノ内天神谷村・伏尾谷村・伏見谷村・師尾谷村・久万田村・松崎村が見える。また同年の佐川郷谷地他一村地検帳には,谷地村分・永野村分が記されており,同年の尾川村地検帳にも「高岡郡佐川郷尾川村地検帳事」とあるところから,谷地・永野・尾川の3か村も当郷のうちであったことがわかる。なお地内には,元亀年間に築城され,長宗我部氏の重臣久武氏が拠ったという佐川城があった。また天正18年霜月10日の年紀を有する近沢家由緒書には,久安3年10月20日のこととして「近衛第二之王子ヲ四国土佐之国佐川ノ内尾川ト云所ヘウツシ畢」とあるが,詳細は不明。慶長2年3月24日の秦氏政事記に「佐河・斗賀野・甲原」の代官として久武内蔵介,庄屋に前田源兵衛・秦泉寺島介の名が見える(蠧簡集)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7435701
最終更新日:2009-03-01