瑞応村(中世)
織豊期に見える村名。高岡郡のうち。天正18年の庄田他七村地検帳には,「瑞応村」「随応村」などと見え,「是ヨリ瑞応之村」とあるが,小村としての当村分は25筆(うち居屋敷4)で,すべて尾川分となっており,瑞応庵の所領で,切畑が多い。また中野村にある飛地の杉尾村は片岡分となっており,瑞応庵領は1筆のみ。同地検帳に見えるホノギには,ホコ岩・西ノ芝・西谷・ニシノ島・八王子・神ノ前・サンハク・マチホリ・ムクノ木谷・池ノヒラなどがあり,飛地の杉尾村を含めた当村分の面積は4町5反余。なお地内の中心となる瑞応寺は,同地検帳では寺域2反,出反別1反5代で,中ヤシキ・茶園の存在が知られる。同寺については岩村蔵福寺の楽音房書状に「従来朔日,国分寺・瑞応寺,於両寺,法華四部御座候由候,不依老若,御経達者ニ被遊候」とある(脱漏)。同文書は年号不明の16年10月吉日の写となっているが,「編年紀事略」はこれを天正16年のこととしている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7436002
最終更新日:2009-03-01