生葉荘(古代)
平安期に見える荘園名。筑後国生葉郡のうち。延喜5年10月1日の筑前国観世音寺資財帳の荘所章に,「筑後国壱所 生葉庄 有生葉郡」と見える初期荘園で,草(葺)屋の東一屋・北一屋,草葺板倉の3棟で構成されていた(東京美術学校所蔵/平遺194)。当時筑後国内の観世音寺領水田は,和銅2年に寄進された三原郡8町・竹野郡4町・生葉郡4町の計16町あり,生葉荘はこれらの水田管理や年貢収納などの任務を果たす建物であったと思われる。これまでに復元された条里と,資財帳記載の寺田の位置から考えて,庄園・庄園西などの地名が残る現在の吉井町生葉・八和田に存在したと推定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438171
最終更新日:2009-03-01