ケータイ辞書JLogosロゴ 宇美荘(中世)


福岡県>宇美町

 平安末期〜戦国期に見える荘園名。筑前国粕屋郡のうち。宇美宮とも称し,宇美八幡宮および周辺の社領を総称して言ったもの。治承2年6月12日付の後白河院庁下文に「筑前国 宇美宮 長野庄 田富庄〈三箇庄〉」と見え,石清水八幡宮の祠官厳清―後房紀太子―勝清―慶清と伝領されたことが確認されている。文明11年9月の宇美宮社務房祐目安によれば,慶清以後は道清が継ぎ,道清は筥崎宮の社務職を田中家の祖宗清に,宇美宮社務職を宗清の弟房清に譲った。以後,宇美宮および同宮領は房清の系統に伝領され,たびたび田中家との間に抗争をくり返しつつも戦国期に至っている。なお,宇美宮関係の一括文書は「石清水文書2」(大日古)に収められている。この間,鎌倉期には地頭が置かれたらしく,弘安7年幕府は異敵降伏を祈願して当荘地頭職を宇美社に寄進している(福岡市立歴史資料館所蔵青柳資料/鎌遺15105・15106)。下って戦国期には宇美河内との呼称がたびたび見られるが(立花文書など),この宇美河内とは別府・南里・志免・吉原・田富・井野・宇美・障子岳・炭焼9か村の総称であるという(続風土記)。天正年間の「指出前之帳」には「宇美村」と見え,田122町余・分米1,555石余,畠25町余・分大豆70石余とされている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438653
最終更新日:2009-03-01




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