小竹村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。筑前国粕屋郡のうち。小岳村とも書く(慶長国絵図・正保国絵図)。福岡藩領。下原触に属す。天正年間の「指出前之帳」には「小竹村」と見え,田17町余・分米199石余,畠17町余・分大豆91石余。村高は,「慶長国絵図」410石余,「正保郷帳」306石余(田180石余・畠125石余),「元禄国絵図」306石余,「天保郷帳」467石余,「旧高旧領」467石余。千眼寺があったが,廃寺となり,福岡市西新町に寺号が移ったという。明治初期の戸数41・人口202(男99・女103),田15町余・畠25町余・山林7畝余,溜池6,正税は米・大豆201石余,雑税は米・大豆6石余と金1円40銭余,物産は小豆・牛蒡・鶏卵・櫨実など(地理全誌)。同22年青柳村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439028
最終更新日:2009-03-01