国光村(近世)
江戸期〜明治9年の村名筑後国生葉【いくは】郡のうち耳納【みのう】山地東部の北方,筑後川中流左岸の微高地上に位置するはじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領石井組に属す村高は,「元禄国絵図」64石余,「在方諸覚書」の古高90石,「天保郷帳」67石余,「旧高旧領」114石余宝暦年間頃の役高は124石,久留米より6里15町(在方諸覚書)嘉永元年頃の作柄は「田方六俵半,粟作六俵」(廻村書留)文化4年の耕地は田5町余・畑2町余(農政農民史料集)吉井町から古川村船渡へ通じる道路沿いの村観音堂がある(寛延記)明治9年若宮村に合併現在の吉井町若宮の一部にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439861
最終更新日:2009-03-01