障子岳村(近世)
江戸期〜明治8年の村名筑前国粕屋郡のうち砥石山の西麓,宇美川流域に位置する元和4年宇美村から分村とある(続風土記)ただし,「元禄郷帳」「天保郷帳」には宇美村枝郷と注記されている福岡藩領旅石触に属す村高は,「元禄国絵図」427石余,「天保郷帳」533石余,「旧高旧領」510石余寛政5年の人数509,うち男281・女228(須恵町誌)弘化3年の組頭4極楽寺址は,古代末期に創建され,摂津石清水八幡宮と関係のあった極楽寺の跡という(続風土記)明治初期の戸数123・人口686(男344・女342),田44町余・畠28町余・新開地8町余,物産は切石・茶・櫨実・薪など,溜池3,正税は米・大豆324石余,雑税は米・大豆9石余と金5円16銭余(地理全誌)同8年宇美村に編入
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440797
最終更新日:2009-03-01