勢田村(中世)
南北朝期〜戦国期に見える村名。筑前国鞍手郡のうち。至徳元年9月27日の麻生義助知行目録写によれば,勢田村30町のうち,筑前守知行分3町余・大和肥前守知行分4町余を除く22町を義助が知行していた(麻生文書/九州史料叢書39)。麻生氏は鎌倉期に麻生荘その他の地頭代としてこの地方にはいった氏族で,南北朝期にその所領は著しく拡大されたが,当村もその拡大に伴って麻生氏の支配下に組み入れられたものであろう。以後当村は麻生氏に相伝され,永享6年6月25日足利義教から麻生家春に,同11年8月29日義教から麻生弘家に,嘉吉3年6月9日足利義勝から弘家に,康正元年11月19日足利義政から弘家子息弘国に安堵されている。文安5年8月日の麻生弘家知行惣荘郷村浦浜所々目録写によれば,この頃には当村は65町になっていた。その後麻生氏に内紛が起きたが筑前守護大内政弘は弘家の言い分を認め,文明11年10月26日当村以下の所領は義政により弘家に返付された(以上,同前)。なお,天正年間の「指出前之帳」によれば,田5町余・分米72石余,畠2町余・分大豆14石余であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441018
最終更新日:2009-03-01