荒川村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。薩摩国日置【ひおき】郡串木野郷のうち。一時期下名村と合併したが,文政3年には分村した(鹿児島地誌)。村高は,「薩藩旧記」352石余,「天保郷帳」352石余,「旧高旧領」841石余。門数は塩屋敷外15(荒川村山之神御社棟札)。神社に春日神社・秋葉神社と大国主命を祭神とする松之尾神社がある。なお,松之尾神社は,のちに南方神社に合祀された。門付堂は阿弥陀・春日・観音・薬師・巌島の5堂。「県地誌」では戸数176(士族18・平民154・社4),人口881(士族102・平民779),牛81・馬86,荷船3,小学校は中央部にあり生徒数男62,戸長役場も中央部に置かれた。物産としては,米700石余・麦98石余・大豆1石余・蕎麦3石余・粟10石余・甘藷2万8,528斤・芋3,750斤・薪1万2,000束・実綿80斤・蘿蔔1万7,000本。明治22年串木野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461158
最終更新日:2009-03-01