猪鹿倉(中世)
南北朝期から見える地名。薩摩国伊集院のうち。「伊集院由緒記」によれば,猪鹿倉村加治屋園に薬師堂1宇があり,そこに所蔵される木立像16体のうち1体の日光菩薩像の背に「日光信心檀那藤原季久 文明七年⊏
⊐薩州伊集院猪鹿倉⊏
⊐作者牛山⊏
⊐」とあった(県史料拾遺)。なお,同書にこの薬師堂の地は薬光院東照寺といい,本尊薬師如来は一宇治城(伊集院城)の東の守護であったという。藤原季久は伊集院一族で,伊集院一流惣系図によれば南北朝期に伊集院忠国の他腹の長子又太郎忠貞(法名道円)が猪鹿倉氏を号している(県史料拾遺)。宝徳2年,伊集院煕久が島津忠国に討伐されると,当地は島津氏直轄領となった。島津立久の定めた永正11年12月15日付伊集院諏訪祭礼番帳には「一番……猪鹿倉名」と見える(伊集院由緒記/県史料拾遺)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461200
最終更新日:2009-03-01