猪鹿倉村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。薩摩国日置【ひおき】郡伊集院郷のうち。村高は天明8年では278石余(由緒再撰調),「天保郷帳」では363石余,「旧高旧領」では291石余。天保期の門数2(伊集院郷土史)。「県地誌」によると戸数59,うち士族32・平民26・社1,人口278,うち士族161・平民117,商業5戸のほかは皆農業,牛12・馬25,米121石余・糯米15石余・裸麦14石余・小麦8石余・粟40石余・甘藷5万2,200斤・蕎麦8石余を産す。当村の東南境を約20町にわたり出水街道とも称し国道3等に属す九州街道が通り,道幅5間。鎮守熊野神社は島津忠久の勧請と伝え,元文3年に再興(伊集院由緒記),別当寺を新宮坊といい是枝氏が代々座主,神人は長尾氏,伊集院5社の1つ。長松川が神之川に合流する付近に大勝山荘巌寺があり,応永25年良範上人の開基で真言宗小野派三宝院の流れをくみ一時三州密門三本山の1つとして栄えたが,島津貴久が九世俊盛法印を開山として弘治2年鹿児島に大乗院を建て小野派の本山として以来当寺はその末寺となり衰えた。幕末の寺高は43石(伊集院由緒記)。排仏毀釈の後寺地は士族の宅地となった。明治22年,中伊集院村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461201
最終更新日:2009-03-01