借屋原村(中世)
南北朝期〜室町期に見える村名薩摩国祁答【けどう】院のうち建武2年8月1日の平重実譲状(斑目文書/鹿児島中世史研究会報18)に「さつまのくにけたうゐんのうちかりやハらのむら」と見え,渋谷重松の孫重実が斑目三郎(斑目政泰の孫行広か)に永代譲り渡している正平22年4月3日の沙弥祖鋸譲状(同前),応永2年10月15日の平重朝安堵状(同前),応永5年11月6日の祁答院重茂安堵状(斑目文書),応永13年4月10日の沙弥昌的譲状(斑目文書)などの一連の文書にその名が見え,斑目氏の勢力浸透の姿が示されている宮之城町広瀬に仮屋原の集落名がある
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461714
最終更新日:2009-03-01