ケータイ辞書JLogosロゴ 串木野町(近代)


鹿児島県>串木野市

 明治12〜22年の町名。串木野郷のうち。明治12年下名村のうちの町場,浜ノ町・下り町が下名村より分離。のち同村内浜浦も含まれたが,浜浦が当町内となった時期は同15年頃か。「県地誌」には串木野町と浜浦がそれぞれ立項されており,串木野町は,東西1町30間・南北2町30間,戸数143,人口708,うち士族170・平民538,馬9,荷船2・漁船1,神社には蛭子神社があり,民業は商業99戸・雑業43戸。浜浦は,東西3町20間・南北13町,戸数661,人口3,105,うち士族76・平民3,029,牝馬11,荷船42・漁船107,神社は天照大神社,公立小学校は中央にあり,生徒数男49・女2,郵便局も中央に置かれ,物産としては小鯛・鰺・九万引,民業は漁業504戸・商業130戸・雑業25戸。浜浦の背後は南北に砂丘が走り,土佐馬場【とさんばば】に続いて浜馬場【はまんばば】が通る。西側の海岸地帯は漁業,東側は漁業・商業の家が密集し,藩政期,家の間引きを奨められたこともあった。嘉永4年の浜浦の大火(フッキョンドンの火事)の結果,密集地の一部は間引きされ,小瀬船溜付近に移転した。串木野郷に隣接する寄田には鹿児島藩の牧場があり,当町の下ノ馬場【したんばば】で仔馬の「せり市」が行なわれた。下ノ馬場は本町ともいわれ,馬つなぎ場やせりのため,町幅が広く,入口を「市口」と呼んでいる。藩政期から開かれていた師走【しわす】の市(つぼ市)と2月の市(人形市)は本町で行なわれ,現在もその名残りをとどめている。明治22年串木野村成立に伴い,同村の大字下名のうちとなったが,独立の大字串木野とされる場合があった。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461871
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ