ケータイ辞書JLogosロゴ 久富木(中世)


鹿児島県>宮之城町

 室町期から見える地名。薩摩国祁答【けどう】院のうち。寛正5年の平徳重覚書(山崎氏文書/旧記雑録)に他の祁答院内の地名と並記されてその名が見え,検田が施行されている。文明6年の行脚僧雑録(旧記雑録)にも祁答院分として久富木の地名が見える。文明17年いわゆる文明の大合戦の折には当地の牧之峯が島津軍の拠点となっている(文明記/旧記雑録)。この地は,祁答院渋谷氏の支流が領主であったが,渋谷良重家門并家臣目録(入来文書)に「久富木村ノ領主久富木伊与守」と見える。文禄4年都城の北郷時久が祁答院地方に移封された時の久富貴(久富木)の高は1,369石6合7勺であった(御秘文雑集)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461902
最終更新日:2009-03-01




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