ケータイ辞書JLogosロゴ 佐志(中世)


鹿児島県>宮之城町

 室町期から見える地名。薩摩国祁答【けどう】院のうち。寛正5年の平徳重覚書に祁答院内の他の地名と並記されて見え,検田が行われたことがわかる(山崎氏文書/旧記雑録)。また,同年9月18日の大山太郎九郎寄進状に「祁答院さしいしのわき門之内畠一ケ所」(入来文書),明応4年9月18日の渋谷重慶寄進状案に「祁答院佐志村田原門之内柳田一反」(同前),大永7年2月の藤井房幸寄進状案に「佐志之名苅屋瀬之内篠田一反」(同前)と見え,それぞれ松尾寺に寄進されている。文禄4年に都城の北郷時久が祁答院地方に移封された時の当地の高は2,572石1斗2合2勺であった(御秘文雑集)。なお,「入来文書」には至徳4年8月8日と嘉慶2年3月2日の年記を有する葦院殿の塔婆の銘(薩摩祁答院佐司名内古塔銘)が収められているが,葦院について同書は,「私曰,昔佐司名ノ領主ナリト云伝タリ,銘ヲ見レハ至徳年中ニ建タル石也,供養石ト見ヘタリ」と記している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462131
最終更新日:2009-03-01




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