新田村(近世)
江戸期の村名薩摩国日置【ひおき】郡串木野郷のうち当村は江戸初期に存在した村と思われ,江戸初期の村切りに基づく「天保郷帳」によれば,薩摩郡に属し村高は63石なお,「三国名勝図会」には,「串木野……当邑は即ち串木野郷にて,郷の内新田村を除く,新田村は水引に隷く」,あるいは「水引……当邑は即水引郷に串木野郷の新田村を併て地頭を置く,新田村昔は高城郡に属し,和名鈔にも高城新多とあり」と見える「和名抄」の「新多」は,高城【たき】郡水引郷宮内村にある八幡新田宮と思われ,前書によれば同社は「宮より祭田八百六十七石余を附け置かる」と見えるように膨大な寺領を有する当村は同社が,薩摩郡,あるいは高城郡の内に開発した新田村と思われるが,現在地は未詳
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462965
最終更新日:2009-03-01