安波(近代)
明治41年〜現在の国頭村の字名。中心集落シマナカの前面に,明治・大正期に前田集落が形成され,同じく300m離れた所に福地集落が生まれた。また,丘陵上のチュラサク(美作)集落は,第2次大戦後の開拓集落である。大正10年共同店開設,戦後は昭和27年度に再建。一部が戦後米軍の北部・安波両訓練場となった。かつては木材・薪炭の切出しを業とする者が多かったが,現在では全く見られない。同55年の経営耕地面積は田0.3ha・畑16.7ha・樹園地83.4haで(農林業センサス),主にサトウキビ・パイナップルを栽培。昭和53年からは,集落南方の丘陵地に安波地区県営農地開発事業が始まり,サトウキビ57.9ha・パイナップル31.1haの農地が造成された。人口は,昭和25年625,同35年540,同45年348。同58年安波川上流に,安波ダムが完成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463783
最終更新日:2009-03-01