ケータイ辞書JLogosロゴ 奥武(近代)


沖縄県>玉城村

 明治41年〜現在の玉城村の字名。昭和初期頃から住民は,移民としてサイパン・テニヤンなどの島々に進出し,農業や漁業に従事するようになった。またフカを捕獲して,その干物を料理用として中国に輸出していた。農耕・通学などのために沖縄本島に渡る際の交通手段としては伝馬船が利用されていたが,昭和12年本島との間に木橋が架けられた。しかし,翌13年台風により木橋が流失し,同15年コンクリート橋となったが,同20年の沖縄戦で米軍上陸の際爆破された。同26年再び架橋,同27年台風により流失,同28年復旧工事が行われた。戦後,米軍は地内の大半を敷きならし米軍専用の野球場に使用した。避難していた住民は百名や知念村の各地に収容され,昭和21年3月に帰村が許可され,同年6月以降は移民先からの引揚者も受け入れるようになった。沖縄戦の戦没者数110うち陸軍軍人51・海軍軍人21・準軍属38。戦後粟石の採石地に365人の従業員とその家族が具志頭【ぐしかみ】村などから移住してきて,昭和21年行政区堀川となったが,地籍は未分離のままである。世帯・人口は,同45年332・1,658,同58年390・1,693。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463998
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ