ケータイ辞書JLogosロゴ 垣花村(近世)


沖縄県>玉城村

 王府時代〜明治41年の村名。島尻方玉城間切のうち。村名は「由来記」に見える。行政上は和名村と併せて扱われ,「高究帳」では和名村の高に垣花村の高も含まれていたと考えられる。「由来記」に見える拝所のうち,照城之嶽・同小嶽などはグスクノロである垣花ノロ,上里森・大森・中森は島ノロである和名ノロが祭祀した。なお,垣花ノロは玉城村・百名村・和名村の祭祀も司り,特に国王の東方巡拝のある百名村の藪薩御嶽の祭祀を管掌していた。「おもろさうし」巻22-33,No.1540には「玉城やふさつの御いへの御前にて」と詞書があり,「大島押笠か/鳴響み居ろ上里杜見ちやる」と謡っている。上里森は,神名をオシアゲクダオシアゲマキウマイケガマイトクノ御イビといい,かつてのオシアゲクダ(マキョ)の祖霊を祀るとともに,漁労祭祀の御嶽であった。時期は未詳だが,和名村が垣花村の一部となる。また19世紀初頭から,垣花村親慶原【おやけばる】の原野に士族が移住し,屋取を形成した。明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属。戸数・人口は,明治13年107・445(男248・女197),同36年135・593(男292・女301)うち士族66・299。明治36年の民有地総反別165町余うち田10町余・畑89町余・宅地5町余・山林14町余・原野43町余(県史20)。同41年玉城村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464097
最終更新日:2009-03-01




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