具志頭(近代)
明治41年〜現在の具志頭村の字名。玻名城と当地にかけて位置する大屯集落を除く戸数・人口は,昭和8年200・1,045(男508・女537),同20年206・1,045(男508・女537)。昭和20年6月1日避難命令が出される前に米軍が来襲し,県外や金武【きん】村に疎開していた人々のほかは,戦火にさらされた。戦没者数は,軍人83・軍属12・戦闘協力者150の計245名に及んだ。翌21年3月疎開していた住民の帰還が許可された。同年4月には仮役場・派出所・診療所・郵便局が置かれ,6月には国民学校の焼跡に具志頭初等学校が開校した。同47年の復帰後は道路網も整備され,村の行政・教育の中心として整備されてきている。世帯・人口は,昭和45年226・1,226,同52年276・1,425。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464269
最終更新日:2009-03-01