仲村渠村(近世)
王府時代〜明治41年の村名。島尻方玉城【たまぐすく】間切のうち。古くは百名村のうちで上百名と呼ばれた。村名は「由来記」に中村渠村と見え,百名村から分村した。「旧記」「当時用候表」にも中村渠村と見える。のちに王府の指示に従って,中城王子の中の字を避けて,中を仲の字に改めた。御嶽に喜名之嶽があり,神名をソントンノマイケガ御イビという。ソントンは琉球最初の王といわれる舜天(尊敦)に通じるが,由来は明らかではない。ほかに拝所は,中村渠里主所之殿・ハミタノ殿があり,玉城ノロの管掌(由来記)。19世紀初頭から士族の入植が始まり,ユナガー(与那川)屋取・シムダ(下田)屋取が形成された。明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属。戸数・人口は,明治13年93・397(男217・女180),同36年108・412(男210・女202)うち士族55・256。明治36年の民有地総反別105町余うち田12町余・畑68町余・宅地4町余・山林7町余・原野11町余(県史20)。同41年玉城村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464821
最終更新日:2009-03-01