野国(近代)
明治41年〜現在の字名。はじめ北谷村,昭和23年嘉手納村,同51年からは嘉手納町の字。野国には近世から西宿が通り,一里塚が置かれていた。大正11年県営鉄道嘉手納線が開通,野国駅が開設された。同14年の戸数202・人口984,農家数185うちサトウキビ作戸数180,耕地は136町余で畑のみ。同15年牛78頭・馬58頭・豚125頭を飼育(県史15)。沖縄戦前には小規模だが野国港があり,山原【やんばる】船の出入りも見られた。戦後全域が米軍の嘉手納飛行場に接収され,住民は離散した。昭和初期に行政字となった兼久が,昭和26年頃地籍字として分離。嘉手納町在住の旧野国住民によって結成されている野国郷友会は,昭和51年町民俗文化財に指定された舞踊「野国天川」を継承している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464889
最終更新日:2009-03-01