ケータイ辞書JLogosロゴ 屋良(近代)


沖縄県>嘉手納町

 明治41年〜現在の字名。はじめ北谷村,昭和23年嘉手納【かでな】村,同51年からは嘉手納町の字。大正末年に久得,昭和17年頃に東が行政字となり,同26年頃正式に地籍字として分離。大正14年の戸数468・人口1,400,農家数418うちサトウキビ作戸数403,耕地(久得を含む)は351町余うち田24町余・畑326町余。同15年牛96頭・馬94頭・豚225頭を飼育(県史15)。昭和19年屋良飛行場(中飛行場)開設。沖縄戦後,屋良飛行場を中心に米軍に接収され,嘉手納飛行場が建設された。嘉手納飛行場は朝鮮戦争でも重要な役割を果たし,ベトナム戦争の際にはB‐52戦略爆撃機の出撃基地となった。同24年嘉手納村役場設置,同34年嘉手納に移転。同37年米軍給油機が地内に墜落,同42年航空燃料・洗剤に汚染された井戸水が燃えるなど基地による災害が多発。同52年の世帯566・人口2,487。現在も南部は米軍基地となっており,北部は嘉手納の一部とともに行政区東を構成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7465223
最終更新日:2009-03-01




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