山口村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。出雲国神門【かんど】郡のうち。江戸期を通じて松江藩領。宝暦年間の村高640石余(大数録),天保年間の村高621石余(天保郷帳)。番所が設けられ,松江藩が許可した牛馬市があり,市場を中心にして町場があった。明治4年島根県に所属。「皇国地誌」によると,田74町余・畑22町余・山林1,145町余・原野77町余で,戸数134・人口568,牛30・馬5,職業は農91・薪炭25・木挽4・大工7・紺屋2。学校は人民共立小学校で男23人・女3人。村社は八幡宮,曹洞宗瑞応寺は天正7年の創建,真宗光林寺は創建年月不詳,真宗西善寺は慶長4年の創建。同22年神門郡山口村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7617541
最終更新日:2009-03-01