検索結果一覧
1件Hitしました
1から10件/1件中
![]() | 日暮里[関東地方] |
新堀(役帳)・入堀(望海毎談)とも書く。隅田(すみだ)川西岸の低地に位置する。地名の由来は,小田原北条氏の家臣の遠山氏の居館の地で,新たに塁渠などをつくったことによるという説がある(新編武蔵)。「紫の一本」は谷中の西北を新堀といい,太田道灌の出城跡と述べている。また「武蔵国志」は城の部に「紫の一本」を引用し「新堀は新墾にてあらたにとりたる田畑なればいう。新墾新沼とも万葉集にも書けり」と説明している。江戸中期頃から「日暮里」と書くようになり,「ひぐらしの里」ともいう。享保年間にはすでに「日暮里」が見える(荒川区史)。享保18年,林大学頭信充が「武州日暮里諏訪浄光寺八景詩歌」を版行したのをはじめ,寛延元年に妙隆寺の住職が境内の崖を利用してツツジを植えるなど,寺院の庭園が続き,宝暦・明和年間になると,新堀台地の景勝は「ひぐらしの里」として江戸名所の1つに喧伝され,「江戸名所」や鈴木春信の「江戸名所二十四景」などに描かれた。日暮里は谷中(やなか)感応寺裏門あたりから道灌(どうかん)山を境とする区域を指した(江戸名所)。
【新堀(中世)】 室町期に見える村名。
【新堀村(近世)】 江戸期〜明治11年の村名。
【日暮里村(近代)】 明治11年〜同22年の北豊島郡の村名。
【日暮里村(近代)】 明治22年〜大正2年の北豊島郡の村名。
【日暮里(近代)】 明治22年〜昭和7年の大字名。
【日暮里町(近代)】 大正2年〜昭和41年の町名。
