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![]() | 石垣[沖縄] |
方言ではイシャナギィという。石垣島南西部に位置する。石垣四箇の1つ。伝承によれば,昔,マタネマシズ・ナアタハツ・平川カワラの3人兄弟がいた。マタネマシズは石城(いしすく)山にいたが,ある日その妹に神が乗り移り,神は宮鳥山に住み守護すると託宣したため,マタネマシズは宮鳥御嶽を建て崇敬した。やがて周辺に人々が集まり石垣・登野城(とのしろ)両村となったという(由来記・旧記)。居住地は東からナータパカ・ジラバガパカ・ピィサガーパカ・シィムスクパカ・カニヌティパカの5つに区分されていた。ジラバガパカにあるソーソーマカーは八重山地方最初の掘抜井戸で,宮鳥御嶽の近くに標を立てて,昼は人間,夜は神が掘り続けてようやく水が湧いたことが,古謡「そうそうまじらば」に謡われている(ジラバ12/歌謡大成?)。弘治13年(1500)のオヤケ・アカハチの乱で,首里王府軍にくみして戦った長田大主は石垣村の人といわれ(球陽尚真王24年条),彼の墓はナータパカにある。考古遺跡には八重山考古編年第?期の平地原遺跡,第?期のニラスク遺跡がある。集落後方の平田壺屋跡には窯跡があり,窯道具・施釉陶片・煉瓦片などが出土する(県文化財調査報告書22)。
【石垣間切(近世)】 王府時代〜明治41年の間切名。
【石垣村(近世)】 王府時代〜明治41年の村名。
【石垣村(近代)】 大正3〜15年の八重山郡の自治体名。
【石垣町(近代)】 大正15年〜昭和22年の八重山郡の自治体名。
【石垣市(近代)】 昭和22年〜現在の自治体名。
【石垣(近代)】 明治41年〜現在の字名。
