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![]() | 寒河江[東北地方] |
村山地方,寒河江川沿岸に位置し,最上(もがみ)川河岸段丘上に集落が立地する。当地は鎌倉期に寒河江荘の地頭職となった大江広元以来,当地方の枢要の地となり,その後5代元顕の代に荘園支配のために内楯の城を拡大したといわれ,この頃寒河江城の原型が形造られたものと思われる。その後天正12年6月最上義光の侵略により寒河江大江氏は滅亡し,寒河江城は最上義光の長男義康・三男家親,のち寒河江光俊の手に渡った。なお古くは,寒河江川南岸の現在の寒河江市一帯を南寒河江,同じく北岸の現在の河北(かほく)町一帯を北寒河江と称したという(地名辞書)。地内には,縄文・弥生時代の石田遺跡,縄文時代の三条遺跡・高瀬山遺跡・高瀬山古墳,平安期の平野山古窯址群などがある。
【寒河江(近世)】 江戸期の町場名。
【寒河江村(近代)】 明治14〜22年の西村山郡の村名。
【寒河江村(近代)】 明治22〜26年の西村山郡の自治体名。
【寒河江町(近代)】 明治26年〜昭和29年の西村山郡の自治体名。
【寒河江市(近代)】 昭和29年〜現在の自治体名。
【寒河江(近代)】 明治22年〜現在の大字名。
