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![]() | 紅葉[関東地方] |
巴川左岸に位置する。古くは持地といったが,水戸藩の別邸に大きな紅葉があったことにちなみ,寛永年間頃紅葉と書くようになったと伝える(水府志料)。鎌倉初期,鹿島成幹の四子助幹が当地に拠り,用次氏を称したことにより,当地は当初用次とよばれたらしい(常陸大掾系図)。「烟田系図」には「用慈四郎」とも見える。以来,用次氏の本貫地として存したが,室町中期の上杉禅秀の乱に加わる。応永24年10月日の烟田幹胤軍忠状案に「大掾庶子,持寺・菅谷・瀬落・飯岡為御敵条,無是非者也,仍鹿島郡中致乱妨狼藉放火条,無其隠」と見え(烟田文書),持寺(用次)氏は上杉禅秀の乱に加わり,禅秀没落に伴い,持寺氏の当地支配は終了した。年月日未詳の烟田幹胤軍忠状案に「持寺跡」と見え(同前),闕所となっている。文禄4年7月16日の佐竹義宣知行充行状写に,「茨木之内 もちゝ 参百七拾七石八斗九升」と見え,舟尾右兵衛尉昭直に充行われている(舟尾朝負昭陣文書/家蔵文書)。
【紅葉村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【紅葉(近代)】 明治22年〜現在の大字名。

