辞書一覧

  • 法律用語辞典
  • アドバンスト フェイバリット 英和辞典
  • 最新 全訳古語辞典
  • 法律用語辞典
  • アドバンスト フェイバリット 英和辞典

検索結果一覧

1件Hitしました

1から10件/1件中

紙漉沢[東北地方]
角川日本地名大辞典

岩木川とその支流相馬川の合流地点付近に位置する。当地には南朝第3代の長慶天皇の潜幸伝説があり,天皇の終焉地ともされる。昭和19年に京都嵯峨の長寿院跡が御陵と決定されるまで,当地は御陵参考地とされていた。紙漉沢の地名も,長慶天皇が潜幸の折,紙漉技術が持ちこまれたことに由来するという(相馬村誌)。合流地点の河岸段丘上に紙漉沢館跡がある。館の起源,由来について長慶天皇が在住したという説・新田義貞の息義治の庶子宗興住居の説,浪岡御所北畠氏の類族移住説,南朝方の鹿角(かづの)の豪族成田氏住居の説などの各説がある。館は屋敷形の平城で,本郭は東西120m・南北70m,四方に堀をめぐらし,また本郭の西に二ノ郭,同じく北の三ノ郭,三ノ郭の北に四ノ郭,その北に五ノ郭を配す(津軽諸城の研究)。紙漉沢館の西方約1kmには,大堀平館跡があり,元弘3年〜建武元年の鎌倉幕府方と朝廷方の抗争に際し,幕府方の最後の拠点となった持寄城の本城と考えられており,南は太平森,西南は岩木川屈曲部に至る付近一帯に,塁砦・竪穴が散在する。館地は,東西30m・南北200m,周囲は,大堀という湿地によって囲まれており,往時は広大な水濠であったと推測される。当地はまた,交通の要所でもあった(同前)。紙漉沢館地内に縄文晩期の白山堂遺跡があり,注口土器を多く出土する。同じく館地内に,縄文晩期の及位遺跡が,また館地の東南下方に,館の下遺跡がある(相馬村誌)。
紙漉沢(中世)】 戦国期に見える地名。
紙漉沢村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
紙漉沢(近代)】 明治22年〜現在の相馬村の大字名。