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![]() | 石末[関東地方] |
野元川流域,宝積寺(ほうしやくじ)丘陵東部に続く平地に位置し,東南部は五行川により開析された沖積低地。地名の由来については,古くは石居と称され,往古栄えた郷村であったが,のち衰退して廃村となり家々の土台石のみが残っていた所なので礎村と呼ばれるようになり,その後復興して末長く栄えるようにと石末村と名付けられたと伝承される。縄文後期の向原遺跡がある。西側の宝積寺丘陵上には,阿久津城があり,その東麓には在地武士団らの集落があったという「大館跡」などの居館と土塁・堀跡があったが現在は消滅。江戸期にまとめられた「氏家宿古記録集」や「氏家記録伝」などによれば,当地は中世に「氏家二十四郷」の1つであったという(氏家町史)。中世に当地は氏家郡内の郷村の1つで,氏家氏・宇都宮氏の支配下にあったと考えられる。「今宮祭祀録」には上石礎郷・上石末村・石礎村などと見え,今宮神社の祭礼に際し,上石末村からは応永10年・永正8年・大永7年,石礎村からは天文8年・永禄7年・天正11年に若色氏が頭役を勤仕したという(西導寺蔵/宇都宮市史)。
【石末村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【石末(近代)】 明治22年〜現在の大字名。
